いつかはやってくると思っていても…
こんにちは、ねぴです。昨日は仕事の後、日本代表に選ばれたダルビッシュを見に東京ドームまで行ってきたのですが、仕事が終わるのが遅くなってしまい、着いた時には終わっていました…。
22番ゲートでのB☆Bとのグリーティングを見て、その横で繰り広げられていた山梨の桃プレゼント企画が何故か(?)盛り上がっていました。
水曜日も含めての観戦レポートはまた改めて書くとして、この話題を書くわけにはいきません。
野茂英雄投手の引退です。
野茂英雄引退のニュース記事
野茂引退「悔い残る」苦渋の決断
トルネード投法で日本人メジャー選手のパイオニアとなった野茂英雄投手(39)が現役引退を決めた。野茂は今季ロイヤルズでメジャーに3年ぶりに復帰したが結果を出せずに自由契約となり、その後も獲得に乗り出す球団は無かった。「プロ野球選手としてのパフォーマンスは出せないと思う」として引退を決断した。日米通算201勝(155敗)、米オールスター戦先発、メジャー両リーグでのノーヒットノーランなど数々の記録を残したトルネードは、多くの人々の心に鮮烈な記憶を残した。
野茂投手が現役引退決意…米進出の先駆者
日本人選手の米大リーグ進出の実質的な先駆けとなり、日本と大リーグで通算201勝(155敗)を挙げた野茂英雄投手(39)が現役引退の決意を固めたことが17日、分かった。ことし4月にロイヤルズを自由契約となった後も獲得に乗り出す球団はなく「まだまだやりたい気持ちが強いが、プロ野球選手としてお客さんに見せるパフォーマンスは出せないと思う」と語った。
野茂投手は今季、キャンプにマイナー契約の招待選手として参加し、開幕直後に3年ぶりのメジャー昇格を果たした。しかし、好結果を残せず4月20日に戦力外通告された。
野茂投手は、ドラフト1位で1990年に近鉄入り。1年目に最優秀選手などを獲得。独特の投球フォームから「トルネード投法」と呼ばれた。
95年にドジャースに入団、64、65年の村上雅則投手(当時ジャイアンツ)に次いで日本選手として2人目の大リーガーとなった。速球とフォークボールを武器にオールスター戦先発など1年目から大活躍し、ストライキの影響で関心が失われていた大リーグの人気回復に貢献。「ノモマニア」と呼ばれる熱狂的なファンも生まれ、新人王に選ばれた。
また、ナショナル、アメリカン両リーグで無安打無得点試合を記録する史上4人目の快挙も達成。大リーグ12シーズンで計7球団に所属。日本で78勝46敗、大リーグで123勝109敗の成績を残した。
同投手の後を追って、イチロー(マリナーズ)松井秀喜(ヤンキース)両外野手ら日本選手が大リーグに挑むパイオニアの役割を果たした。
引退について野茂投手はこう語っているそうです。
「リタイアすることにした。プロ野球選手としてお客さんに見せるパフォーマンスは出せないと思うし、同じように思っている球団も多いと思う。自分の中ではまだまだやりたい気持ちが強いが、自分の気持ちだけで中途半端にしていても周りに迷惑をかけるだけだと思った。」
近鉄時代からトルネード投法で名を広め、まだ日本人が活躍してなかった1995年、ロサンジェルスドジャースに移り、メジャーへの道を自ら切り開きます。彼の活躍についてはここで書くまでもないでしょう。ノーヒットノーランを2度達成し、後に続く選手たちに大きな道を切り開いた男として、彼が果たした役割は大きいです。
知られざる佐野元春さんとの交流
私自身印象に残るのは、野茂投手と佐野元春さんとの交流です。意外と知られてないかも知れませんが、佐野さんは近鉄ファンだったのです。そして、野茂投手も元春のファン。ということで、二人は近鉄時代から交流が多く、元春のライブに野茂投手や佐野慈樹投手、赤堀投手などが訪れたこともあるそうです。
●ドジャース野茂選手と「彼女の隣人」
5月18日放映の「ニュース23」スポーツコーナーで元春の音楽を熱心に聞き入る野茂選手の姿が紹介された。試合の直前にロッカールームで集中力を高める野茂選手。「リラックス法は?」とのインタビュアーの質問に、佐野元春さんの曲を聴くことだ、と答えた。ちなみに曲のなかでは「彼女の隣人」が一番のお気に入りだとのこと。この知らせを聞いた元春は顔を紅潮させ、「ほんとうに光栄です。」と大喜び。報道でも伝えられているとおり、野茂英雄さんは、現在アメリカのドジャーズに在籍し、過去日本で2人目の大リーガー選手として活躍中だ。元春と野茂選手の親交は古く、近鉄バファローズ時代の試合を見学したり、野茂選手を始めとする近鉄バファローズ選手陣が元春のコンサートに足を運んでくれていたりする等、親交を暖めてきた両者。本場のベースボールの地で、そしてアメリカという文化の異なる場所で戦う野茂選手に、元春も心からのエールを送っている。
(Moto’s Web Server ニュースアーカイブ Vol.4 1995)
二人の交流がひとつの形となったのが1995年。野茂がドジャースの投手として海を渡った年、元春も野茂を応援するためにロサンジェルスを訪れました。その模様がTV番組(TBS)で放映され、野茂への応援歌として元春は一つの曲を作りました。
1996年に発表されたアルバム「フルーツ」に入っている「経験の唄」です。
後に野茂が登場する某生命保険会社のCMソングにもなりました。
たとえこの空が暗く沈んだとしても
変わらない 君への想い
たとえこの地球の色が消えてゆくとしても
変わらない 君への想い
この曲を聴いた時、歌詞には普遍的な思いが入ってるのだけど、野茂投手が投げている姿とオーバーラップしているような感じがしたのを覚えてます。佐野さんは野茂投手の引退をどう思っているのか、聴いてみたい気がします。
野茂投手の引退について、佐野元春さんからコメントが寄せられました。
■引退を表明した野茂英雄投手に元春からコメント
17日に現役引退を表明した元大リーガー、野茂英雄投手(39)に、元春は一部スポーツ新聞などメディアを通じ、コメントを送った。「13年前、フィラデルフィアで観た試合が昨日の事のように思い出されます。『ベースボール』に全身を捧げた男の意地に最大の敬意を表します。 佐野元春」
[Update 2008/07/18 18:27]
<追記>
元春さんと野茂さんの関係が分かるような記事を見つけました。
これからの野茂英雄は?
野茂投手はこれからどこへ行くのでしょう。日本に戻るのか、アメリカにとどまるのか。まだ分かりませんが、一ついえることは、野球から離れることはないはず。
何らかの形で野球とかかわっていくと思うし、日本とメジャーで培った多くの経験を、後の世代にこれからも伝えてほしいと思います。
野茂投手、お疲れ様でした。
2020/08/30追記:Numberに野茂英雄特集号「こんな夜に野茂英雄が読みたい」
2020年夏に発売されているNumber1009号は、野茂英雄特集号です。読み応えありました。
改めて記事にしたいと思います。