今日は8月6日。
1945年のこの日、広島に原子爆弾が投下され、多くの命が失われた。
この日を忘れることなく、平和の重要性を再認識する一日にしていきたいと、8月6日の思いを綴ってみたい。
79年前のあの日を思い起こす
1945年8月6日、第二次世界大戦中にアメリカ合衆国が広島に原子爆弾を投下。
これは世界初の原子爆弾による攻撃であり、市内中心部に投下された爆弾は瞬時に広島の広範囲を破壊し、約14万人が死亡した。
この攻撃は広島に甚大な被害をもたらし、生存者たちはその後も長期間にわたり放射線の影響に苦しんだ。
そして、この出来事は、戦争の終結に大きな影響を与えるとともに、核兵器の恐ろしさを世界に知らしめることとなった。
あれから数十年にわたり復興を遂げ、現在では平和の象徴となっている広島。
79年経った今も平和を伝え続けている広島。
今日、広島では平和祈念式典が行われ、原爆が投下された8時15分には鐘の音に合わせて黙祷した。
聖書から感じとる平和
聖書には平和について書かれている箇所がいくつかある。
マタイの福音書5:9
「平和を作る人々は幸いです。その人たちは神の子と呼ばれるからです。」ヨハネの福音書14:27
「わたしは平和をあなたがたに残し、わたしの平和をあなたがたに与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。心を騒がせることも、恐れることもありません。」ピリピ人への手紙4:7
「そうすれば、すべての理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれるでしょう。」
特に「平和を作る人々は幸いです。」という箇所は、聖書を開く度に痛感させられる。
平和を作る人って、どんな人?
平和を作るって、どういうことだろう?
頭の中では思い浮かぶけど、実際に実行するのは難しいことに気付かされてしまう。
平和の祈り
教会では、先日の礼拝は「平和主日礼拝」として開催された。
午後は平和を祈るコンサートが開催された。
ドイツからWeser Trio(フルート、ビオラ、チェロのトリオ)による演奏と、平和を願い、祈る時間を持った。
Weser Trioの演奏は温かさと力強さを感じたが、こうして演奏出来るのも、平和だからこそということも思い起こされた。
礼拝では聖歌隊として「平和の祈り」をハンドベルと合わせて賛美した。
毎回賛美していて、改めて平和でいることの大切さを思い起こされる。
この曲は、「聖フランシスコの祈り」を元に歌詞が作られた。
祈祷文にはこう書かれている(参照:Wikipedia)。
主よ、わたしをあなたの平和の道具としてください。
憎しみのある所に、愛を置かせてください。
侮辱のある所に、許しを置かせてください。
分裂のある所に、和合を置かせてください。
誤りのある所に、真実を置かせてください。
疑いのある所に、信頼を置かせてください。
絶望のある所に、希望を置かせてください。
闇のある所に、あなたの光を置かせてください。
悲しみのある所に、喜びを置かせてください。主よ、慰められるよりも慰め、理解されるより理解し、愛されるよりも愛することを求めさせてください。
なぜならば、与えることで人は受け取り、忘れられることで人は見出し、許すことで人は許され、死ぬことで人は永遠の命に復活するからです。
この祈りを世界中に届き、戦争がなくなり、真の平和が訪れるのを願わずにいられない。
平和をもたらすための祈り
8月6日8時15分、8月9日11時2分、そして8月15日12時00分。
教会ではこの時間に鐘を鳴らして、祈りを合わせる時間を持とうとしている。
この時間が来たら、作業を一時止めて、祈りを合わせていきたい。
- 世界中の平和のための祈り(特に戦争や紛争で苦しんでいる人たちのために)
- 広島と長崎の被爆者とその家族のための祈り
- 自分自身の心の中に平和をもたらすための祈り
自分自身の心の中が平和であることで、周りのひとたち、そして世界中に平和が広がっていくことだろう。
その思いを持ち続けようと思った、2024年8月6日です。