もう2ヶ月。ではなく、まだ2ヶ月というべきか。
2011年3月11日。
あの日の出来事は忘れることができない。
たまたま有休取っていて休みだった私は午後、実家からアパートに戻ろうとして電車に乗っていた。最寄駅まであと1駅という所を走っていた時に、急ブレーキで電車が止まった。何事かと思ったら、地震が発生したので、しばらく運転を見合わせるとアナウンスが。揺れた…という感じがないまま、止まった電車の中で次のアナウンスを待つしかなかった。家族や友人に携帯で連絡を取ろうとしたのだけど、メールも電話も繋がらない。その間、何度か余震があった時、脱線してしまいそうで怖かった。
待つこと1時間半、電車は動かせないので、線路に降りて最寄り駅まで歩くことになり、係員に誘導されて、線路を歩いて駅へ向かった。
駅に着き、アパートに戻り、テレビを付けたら、信じられない光景が…。
津波で町が飲み込まれているなんて…。
翌日には福島原発が大変なことになっているとは…。
東京では余震、計画停電、買いだめ、電車の間引き運転…と不安な日々が続いた。
1ヶ月過ぎた頃から節電の影響はあるものの、落ち着いてきた感じになってきた。
しかし、被災地ではまだ復旧と呼ぶには遠い現実がある。
原発事故で避難している人達も多く、いつ帰れるのか全く分からない状態が続く。
東京でも“放射能”という見えない不安も抱えて毎日過ごしている。
教会学校では、創世記を学んでいるのだけど、
聖書には最初にこう書かれている。
「初めに、神は天地を創造された」
神様は一日一日、天地を造られていった。人が神様を裏切った時、ただ怒るのではなく、憐れみをもって道を備えてくれる。ノアが家族と動物、鳥のつがいを箱舟に入れて、それ以外は洪水で滅ぼした時も、神様は「これ以上人を滅ぼさない」と契約の虹をかけてくれた。
「わたしは雲の中に、わたしの虹を立てる。それはわたしと地との間の契約のしるしとなる。」
旧約聖書 創世記 9章13節
大震災で大切な人達を亡くし、多くの人達が街や家や今までの生活を失くしてしまい、避難生活を余儀なくされているのを見て、心が痛む毎日。
でも、神様はいつかきっと、多くの人達に約束の虹をかけてくれるだろう。
自分ができることといえば、募金、節電、そして祈り。
被災地のために、被災された方々のために、神様からの虹がかかりますように…。
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教会の青年向け機関誌に書いたものです。
フリーテーマで証を書いてほしいと依頼されて書きました。
これからも、思いを持ち続けていきたいと思います。