金曜日、11時台のニュースを見ていたら、突然の訃報が入りました。
西本幸雄さん死去
悲運の闘将 91歳西本幸雄さん死す
パ・リーグひと筋の熱血闘将、逝く-。阪急、近鉄を強豪チームに育て上げた西本幸雄氏が25日、心不全のため、兵庫・宝塚市内の自宅で死去した。91歳だった。葬儀・告別式は未定。西本氏は60年に大毎監督に就任し、いきなりリーグ優勝。63年から阪急監督として、弱小チームを傑出した情熱と指導力で常勝チームに育て上げ、11年間で5度リーグ制覇に導いた。74年からは、近鉄の指揮。79年に初のリーグ優勝を果たすなど、その手腕はプロ野球の歴史に大きな足跡を残した。20年で8度の日本シリーズに進出したが、1度も勝てなかったことから「悲運の闘将」とも呼ばれた。
最近TVなどでお見かけしてないなぁと思っていたので、どうしてるのかと思っていたのですが…。
91歳という年齢に驚くと共に、また一人、プロ野球に愛されていた人が逝ってしまったと感じました。
「魂は日本シリーズまで生かしてくれた」
と語ったのは、近鉄時代に西本さんから鍛えられて育った梨田昌孝氏(前ファイターズ監督)。日本シリーズが終わり、今年のプロ野球も無事に終わった事を見て、安心して天国へ旅立ったのではと感じました。
「江夏の21球」は西本さんなしでは語れない
西本さんといえば、監督になってから知るようになりました。
リアルタイムでは小学生だったので、後追いになるのですが、1979年の日本シリーズでの死闘は、故・山際淳司氏がNumberで書いた「江夏の21球」(「スローカーブを、もう一球」に収録)で知るようになり、NHK特集での番組で映像を見て、いろいろと感じました。
無死満塁を必死に切り抜けた江夏の凄さが出れば出るほど、優勝に近づきながらあと1歩、手が届かなかった西本監督の無念さが浮き彫りになるのが切なかったです。
訃報を知った日、Twitterでこうつぶやきました。
解説者としての西本さん
リアルタイムで野球を見るようになった頃には既に解説者になっていたので、解説者としての印象が強かったのです。これを象徴するのが、YouTubeで見つけました(現在は削除されています)。
1988年10月19日のプロ野球ニュース。近鉄が最終戦、ダブルヘッダーで引き分けに終わり、優勝を逃した「10.19」と、この日発表された阪急の身売り。西本さんは阪急、近鉄両方で監督をやられているだけあって、この時の語りには深みを感じました。優勝は逃したものの最後まで戦いぬいた近鉄へのねぎらいと、「何故この日なんだ?」と突然の身売りを発表した阪急への憤りが画面から伝わりました。
リーグ優勝を8度経験したけど、日本一には手が届かず、“悲運の名将”と呼ばれていた西本監督でしたが、多くの選手達を育て上げた実績、そして今でも語り継がれる数々の名勝負を残してくれた、記憶に残る名将でした。多くの人たちに愛されていた事を感じます。
西本幸雄さんのご冥福を心からお祈り致します…。