Praying Night
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祈るとき
Frower
(C)neppie
最近、今まで以上に祈る時間が増えたような気がする。 クリスチャンの私だが、普段はなかなか聖書を読んだり、祈ったりする時間は思った程取れないのが現状である。それでも、仕事をしていた時より聖書や神様について考える時間が増えた。何か思った時に聖書を開いてみたり、祈ってみたり…。本当は習慣づけていかなければならないのだけど、思った程なかなか時間がとれない現在、自分のペースで歩んでいこうと思う。

先日教会の友達の家で「祈りの会」という交わりの時があった。
祈りの会とは、教会の隣のアパートに引っ越してきた友人の家を開放し、夕食を食べながら聖書を読んで分かち合い、祈りあうという集いである。
主の聖日である日曜日の夕方、それぞれの教会での働きを終えた青年たちが一つの家に集まった。 食事を食べた後、今日のテーマになりそうな聖書の箇所を開き、読み上げる。 何人かの人がその聖句について思ったことを話し合った後、グループに分かれて、祈り合う時を持つ。
その時、祈りの課題にしてほしい事をいくつかあげるのだけど、教会のこと、自分の事、友人の事、教会を離れている人の事…いろいろとあがってきた。
そして祈り合っている時、一緒に祈っている友達が私の事を祈ってくれた。私も一緒に祈っている友達の事を祈った。そして最後に「アーメン」と共に言い、祈りの時が終わる。

こうしてお互いに祈り合える喜びが出来る事を感謝した。
こんな私でも、いるだけで嬉しいと言ってくれる友達がいる。
祈りながら中心に神様がいる事を感じていく。
そして祈り終わった時、何とも言えない安らぎを感じるのである。
先日行われた修養会でも仲間達と祈り合う時があった。いくつかのグループに分かれて、それぞれの思いを語り合った後、祈って欲しいことを出し合う。そして静かに祈り始める。その時も祈っていくうちに安らかな気持ちになった。

共に祈り合える仲間がいる事の喜び。私が今曲がりなりにも神様を信じることが出来るのも、一緒に祈ってくれる仲間がいるからだという事を感じ、とても嬉しい。そしてその仲間達を与えてくれたのは、神様という事を感謝している。これからもつまづく事もあると思う。そんな時には、仲間達と共に祈りながら歩んでいきたい。

忍耐と慰めの源である神が、
あなた方に、キリスト・イエスに倣って互いに同じ思いを抱かせ、
心を合わせ声をそろえて、
私たちの主イエス・キリストの神であり、
父である方をたたえさせて下さるように。
(新共同訳:ローマの信徒の手紙 15章5,6節)
Last Update:Last Update:October 18,2000
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