ようこそ、Web Worldへ!今月も私と共にNet Workの世界を楽しみましょう。 1998年は、スポーツの年になりそうですね。2月はいよいよ長野でのオリンピック、6月は日本代表が挑むサッカーW杯……といった感じでわくわくしてしまいます。日本人はよくプレッシャーに弱いと言われたりしますが、選手達にはプレッシャーを乗り越えて、のびのびと頑張って欲しいものです。
さて、今回は久々に「インターネット」の話題を書いてみたい。 そもそもこの連載は私がパソコンを買ってから通信やインターネットにはまるまでを書こうとして始めた。だが回を進めていくうちに「ネットワーク」そのものを考え直すようになり、「インターネットだけでなく、身近なネットワークのことも書いた方がいいかな」と思うようになり、当初の趣旨から離れての話題も書くようになっていた。 インターネットが見られる環境になってからの事は前にも書いたが、一番変わったことと言えば、いろいろなものを「拾える」ということだった。とにかくネットをクリックしながら辿っていくと、新たに興味のあるページが出てくる出てくる。どんどん辿っていくうちに時間が経ってしまう(&電話代が掛かる(^^;)。ネットサーフィンとはよく言ったものだと思う。電話代を気にしつつも、一度アクセスしたらなかなかやめられない。私も本格的にインターネットを始めた昨年1月頃は特に繋ぎっぱなしの状態になってしまうので通信代が高くなってしまった。 そのうちある程度慣れてくるとホームページが面白くなってくる。例えば新聞社のホームページは最新ニュースを随時掲載しているし、好きなTV番組の最新情報や裏情報などもTV局のホームページでチェック出来る。ファッション雑誌のホームページは立ち読み感覚で楽しめるし、レコード店のページだと視聴も出来たりする。更に本文の中にあるアンダーラインの所をマウスでクリックすると、その関連したページへとジャンプしてしまう。ホームページが面白いと思う一因に、この「リンク」もあげられるだろう。 ここで「リンク」というのを私なりに考えてみようと思う。 インターネットを見られる環境にある人なら分かると思うけど、Webブラウザの画面を開き、文章内のアンダーラインや、画像、アイコンなどにコンピュータのマウスを当てると、矢印から「指」のマークへと変わる。そこをクリックすると、今まで見ていたページから別のページへとジャンプする。それが繰り返されて「リンク」となっていく。大抵は関連あるページへ飛ぶのだけど、リンクを繰り返していくと、いつのまにか初め読んでいたページからかけ離れてしまうこともしばしばある。最近も初めは音楽のページを中心に読んでいたのが、リンクを繰り返していくうちに何故か「子育て」のページに飛んでしまった。その時はある人の個人で発信しているページの中の「音楽」の所を読んでいた所から始まったのだが、気に入って他のページも読んでいるうちに子育てのページへ行ってしまったのである(将来の為にはある程度参考になった…かも(^^;)。今まで興味のなかったジャンルでも、ある日偶然にホームページを見たのがきっかけで興味を持つようになったこともあるし、今まで考えられなかったもの同士の意外な繋がりを見つけたりもした。こうして1台のパソコンを入口に、インターネットを通して私は未知の世界へと導いてくれたのである。 こうして考えてみると、普段の生活の中でもいろいろと「リンク」されている事に気づく。例えば、友人との出会いもそうだ。私はここ数年でかなり友人が増えたのだが、今までからの友人はもちろん、友達の友達だったのが自然と友人関係になったり、飲み会などの集まりで仲良くなったりと出会いは様々だが、ふと考えてみると、今まで繋がっていなかったものがピンと繋がるように「いつのまにか目には見えない糸で繋がってきたんだな」と思うようになり、そして「これも一つのリンクなんだろうな…と思えるのである。 不思議なことに自分のまわりでいろんな事がリンクされていく様子を感じ取ることが出来る。例えば、初めて出会った人と話していると、いろんな所で自分との共通点を感じとったり、一緒にいて楽しい気持ちになったりする。それを感じた時、私の心は安らかになっていくのである。これは神様からいただいた不思議な宝物となっていく。 同様に、神様からの言葉もきっと、いろいろな所からリンクしながら、私の元に届くんだろうなと思っていた。しかし本当は違うことに気づいた。神様からの言葉は、祈りは、讃美は真実のもの。だからこそ新鮮で、輝いている。聖書の中に有名なぶどうの木の話がある。ヨハネによる福音書15章のこのたとえ話は、知っている人もいるかも知れない。
私はまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。 わたしにつながっている枝で実を結ばないものは、 父がすべてこれをとりのぞき、 実を結ぶものは、もっと豊に実らせるために、 手入れしてこれをきれいになさるのである。 (ヨハネによる福音書 15章1〜2節)
私はまことのぶどうの木、あなたがたはその枝である。 もし人がわたしに繋がっており、 またわたしがその人と繋がっておれば、 その人は実を結ぶようになる。 わたしから離れては、何一つ出来ないからである。 (ヨハネによる福音書 15章5節)
わたしにつながっていなさい。 そうすれば、わたしはあなたがたとつながっていよう。 枝がぶどうの木につながっていなければ、 自分だけでは実を結ぶことが出来ないように、 自分だけは実を結ぶことが出来ないように、 あなたがたもわたしにつながっていなければ実を結ぶ事が出来ない。 (ヨハネによる福音書 15章4節)