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最近、私の脳裏にいつもかすめているあの出来事。
1月17日、神戸周辺で起こった阪神大震災は、東京で暮らしている私にとってもかなりショックだった。TVで映し出される信じられないような街の姿は、今まで教科書で見たことのある戦争時の風景そのものだった。実際ある国の新聞ではその日の神戸の姿を「被爆地ヒロシマの再来」と報じていたという。5,000人以上の命が奪われ、家やビル、更には鉄道や道路、水道にガスといった生活に欠かせない機能が、たった20秒の揺れで消えてしまった姿を目の当たりにして、人ごとじゃないと思った。もし東京で同じことが起こったら一体どうなるんだろう。気が気でない日々を過ごしていた。
そんなとき新聞の投稿欄にある投書が載せられていたのを目にした。
ある女子大生からの投書である。
今まで、布団で寝るということをごく当たり前の事と思っていましたが、これさえも幸せなことなのです。母親と何げなく交わす言葉、手を洗う水に、災害にあった人達を思い、胸が痛みます・・・・毎日毎日、なにげなく送ってきた日常生活が、実は非常にもろく、いつ壊れてもおかしくないのだという覚悟を胸に、一日をかみしめながら生きていこうと思いました。
(朝日新聞 1995年1月26日「声」掲載)
そうなのだ。確かに東京に地震がいつ起きてもおかしくないと以前から言われていたし、いつ起こるかなんて誰も分かりはしない。今回の事だって誰も想像つかなかった。だけどこの投書を読んだ時、私はこう思った。毎日私が生かされているのは誰のおかげか。それを考えるとこれが神様に感謝すべき事なんだと思った。朝起きるといつもと変わらない光景。今までは当たり前に思ってたが、今では一日一日が愛おしく感じる。また人間が最高の技術を持って造ったモノを一瞬にして壊していった、地球を造った者の偉大な力、創造主である神の凄さを改めて感じる。しかし同時に災害に遭った所でも神様がいるんだという事にも気づく。潰れた家に閉じ込められた人が近所の人に助け出されたり、被災後に赤ん坊を出産したり、そして被災者の人達がまた力を合わせてこの街の復興に全力を傾けている・・こういう姿を見て彼等はきっと立ち直れるはず、と思った。
私はこれを書くにあたって、シンガー・ソングライターのJackson
Browneが書いた「I'm Alive」の詩が思い浮かんだ。
そもそも「I'm Alive」とは、「僕は元気だよ」、「ぴんぴんしてるよ」といった意味に使われるフレーズだが、私はこの曲を聞いたとき、ストレートにこのタイトルを「僕は生きている」と捉えてしまっていた。
しかしこのフレーズは元気無さそうな人に向かって誰かが「大丈夫?」とか「落ち込んでいない?」と質問をされた時に返ってくる言葉として使われるという。或いは長い間音沙汰が無かった人が突然みんなの前に現れた時や、それこそ死んだと思われていた人が「どっこい今だ生きているよ」と登場する時に使う言葉だ。この歌では主人公は恋愛関係の破綻から失意のどん底にいるという設定である。恋人が去られた後、彼は彼女との楽しい思い出や壊れてしまった夢を消さなければと思っていた。とてつもない辛い出来事でかなり落ち込んで様だが、その後何とか立ち直り「死んじゃいないよ、僕は元気だよ(I'm
Alive)」と彼は力強く宣言する。
今回の地震は5000人以上の死者と、何百万人もの被災者を出した大惨事である。しかし最近は少しずつ復興に向けて人々が動き出している様だ。表情にも活気が少しずつ戻っているようで、その姿を見ていると彼らが「I'm
Alive」と力強く宣言出来る日が近く来るような気がしてならない。
一日も早く神戸がもとの街に戻って、今まで以上に逞しく魅力的な街になって欲しい。
いつかここの場所でも大きな災害が起こるかも知れない。けれどきっと神様が守って下さる事を信じ、私もこれから一日一日を大切に過ごして行こうと改めて思った。
(1995.1.29)
P.S.
その大震災から4ケ月経った。新幹線・電車が再開され、ライフラインもとりあえず復旧した。でも未だ沢山の人が避難所にいて、瓦礫の山があちこちで積まれている様子をTV等で見ると今でも胸が痛む。東京では最近地震以上に怖く、不気味な出来事が続いていて気が気でない毎日を過ごしているが、落ち込んでも仕方がないので前向きに生きよう。
Jackson Brown's Official Web
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Last Update:1995.5.19「Party?
Party!」vol.1
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