1980年。彼がデビューした時、
私は小学生だった。
勉強するより遊ぶことに夢中夢中だった私は、
彼が勢いで突っ走っていた頃を体験できなかった。
彼がニューヨークで暮らしていた時、
私は中学生になっていた。
まだ音楽に深く興味を持ってはいなかったけど、
Duran DuranやCulture ClubなどのMTVから飛び出した
POP Artistsの音楽に、ワクワクしていた。
その音楽を直に体験した彼が持ち帰った作品を聴いた時、
あのワクワクした気持ちを思い出すことが出来た。
(歌詞が難解だったので、理解するのが大変だったけど(^^;)
彼が新しいFactoryを作った時、
私は高校生になっていた。
音楽雑誌を定期的に買うようになり、
今まで以上にいろんな音楽を聴くようになっていた。
その中で彼の作り出す音は、他の人たちと一線を画していた。
彼は常に時代の先を見つめていた。
ミュージシャンでありながら、エディターであり、
DJであり、ポエトリーダーだった。
私は彼の音楽や表現を体験しながら、
「いつかCafe bohemiaに行きたいなぁ」と思っていた。
彼が今度はロンドンで新しい音楽を作った時、
私は短大生になっていた。
年号が変わり、壁が崩れ、まさに世界が少しずつ変わろうとしていた。
「これからどこへ行こう」と思いながら、
どこにも行くところがない、とため息をついていたような気がする。
そんな中、彼のライブに初めて行った。
横浜スタジアム。開演前に雷が鳴ったと同時に始まったライブは、
畳み掛けるような彼の歌とバンドの演奏に、私の頭と心に見事ぶつかった。
1990年からの10年間。
社会人になり、嬉しかったことも悲しかったことも、
切なくなったことも、驚いたこともあった。
大切な人を失ったり、新しい仲間が出来たり、
趣味が広がったり、まだまだ勉強が必要だと痛感したり、
…と、私の中でいろいろな変化があったように、
彼の中でも沢山の変化があったと思う。
でも彼が一貫して伝えているのは、ただ一つ。
「僕は友達の為に曲を作る」
彼はいつもリスナーの視線に合わせてくれる。
リスナーの気持ちになって歌ってくれる。
皮ジャンを着なくても、サングラスを付けなくても、
ロックンロールすることが出来るというのを教えてくれた。
彼が与えてくれた沢山の歌や、
彼が見せてくれたステージ上の躍動感あふれる姿、
私はどれだけ勇気づけられ、励まされただろう。
今度は私が彼に返してあげる番。
誕生日が近づき、デビュー20周年が近づいている今日この頃、
私が彼に対して出来る事は何だろう…と考えてもどうしようもないから、
武道館でのライブでは、とにかく一緒に歌いたいと思っている。
彼の声が、1万人の観客に消されるくらいに…。
武道館では、思い切り楽しませて下さい。
そして、デビュー20周年&誕生日おめでとうございます。
元春コミュニティで「デビュー20周年記念CD」に提出した作品です。
この企画は、ファンが佐野さんにお祝い&バースディメッセージを思い思いの形で綴り、
武道館の日に管理人さんによって、佐野さんに直接渡せました。
CD-ROMの中に込められた、佐野さんへの思いが感じられるCDになりました。 (2000.3)
|