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1999年、セントラルリーグ制覇!中日ドラゴンズ

ドラゴンズ優勝記念イラスト

Special Thanks to Kan Kurahashi from.KAN'S CAN

「久しぶりだから、初めてみたいな感じがします。
選手の粘り、この粘りを1年間見せてくれました。
今日はほんとに凄い粘りでした。
選手をここまで信じてきて良かったなと。
つくづく幸せな男だと思います!
今日も、最後に宣がヒヤヒヤさせてくれましたが、
これはもう慣れっこなんですけれど、
こういうプレッシャーの中で感激を味わうのが、
より一層嬉しさが込み上げてくると思います。・・・ 
皆さんに感動を与えた選手たちに拍手を贈ってやってください!!」
(談:星野監督)

ドラゴンズ優勝記念ビデオ発売決定!

嬉しい!嬉しい!嬉しい!嬉しい!

優勝できて良かったぁ。
11年ぶり。ただただ嬉しい!

今私が言えることは、これだけ。
本当はいろいろと言ってあげたいことがあるけど、…うまくまとまらない。

私とドラゴンズとの付き合いは本当に長い。
「NEPPIE」という名前だからブルーウェーブファンではと思っている人も多いと思うけど、
BWのファン歴は5年。ベイスターズも好きなチームだけど、
一番ファン歴の長いのは、実はドラゴンズである。
ファンになって以来、優勝を味わえたのは1988年。
でもあの頃は昭和天皇が病気ということで、日本全体が自粛ムードだった。
やるのも見るのも楽しみなビールかけは無し。
優勝そのものは本当に嬉しいのに、
心から喜びあえない寂しさをナインや監督の表情から感じてしまった。
日本シリーズでも西武相手に1勝4敗で負けてしまった。

あれから11年。
それまで何度チャンスを迎えながら、私たちに苦汁を味わせてくれたことか(;_;)。
私がファンになった年は1984年。
あの頃は野武士軍団として輝いていたドラゴンズが、8月まで首位で頑張っていた。
それがカープの猛追撃に最後には根負けしてしまい、優勝を逃してしまった。
91年の時(8月まではぶっちぎって首位を独走していたのに、
9月に入って急に失速してしまった(;_;)。その時の優勝チームはまたしても広島カープ)
94年の「10.8」、96年(ナゴヤ球場最後の日)の「10.6」…思い出すのも辛い。
去年はベイスターズの38年ぶりの優勝に花を添える形になってしまった。
ベイだから許したけど、内心は「来年こそは…」という思いでいっぱいだった。
それだけに、今回の優勝は本当に嬉しかった。

私は優勝の瞬間をTVで見ることになってしまった。
でも心はナインがいる神宮、ファンが集まっているナゴヤにいたような気がする。
仕事も適当な時間に切り上げ、とにかく家に向かう。
帰りのバスの中でラジオで実況を聞きながら、
ドラゴンズファンの友人のHP掲示板に書き込む。
「とにかく点を入れて!」という願いを込めて。
でも先発の山本昌は、優勝経験しているはずなのに、リラックス出来てないように思えた。
「これは危ないかも…」という不安は、思わぬところに現れた。

山崎武司が3回の守備の時にバッターランナーと交錯して、左手首を痛めてしまった。
調べてみたら骨折と分かり、全治6〜7週間という最悪の結果に(;_;)。(シリーズに出られないのが心配)
動揺した山本昌は、1点先制された後もランナーを溜めてしまい、古田に3ランホームランを打たれてしまう。
この時点で0−4…4点のビハインドは難しいかなと思ってしまった。

ところが、このアクシデントが逆にナインを燃え立たせた。
「山崎さんの為に!」と負傷の山崎に代わって6番に入った久慈照嘉が、
ここぞという場面で打って、存在感がぐんと増した井上一樹が、
タイムリーを打ち2点差に。6回も久慈がまたしてもタイムリーで1点差。
そして7回の攻撃中に、ジャイアンツがベイスターズに敗れ、
この時点でドラゴンズの優勝が決まった。だが、星野監督は更に厳しい表情を見せていた。
ベンチにはその朗報は伝わってなかったが、
ナインはスタンドの雰囲気で「優勝が決まった」と感じていたらしい。
そして相手バッテリーはこの熱気に対して動揺を押さえ切れず、何と暴投をしてしまう。
ついに4点のビハインドを跳ね返して、同点にしたのだった。

そして運命の8回表。
ランナーを1塁に置いて、打席には4回にタイムリーを打った井上一樹。
彼が2塁ベース上でガッツポーズした時、
彼のトレードマークとも言えるピンクのリストバンドがますます光って見えた。

胴上げの瞬間が近づくにつれ、私のボルテージも上がってきた。
と同時にハラハラ状態だった。

岩瀬仁紀、落合英二、サムソン、そして宣銅烈。
シーズン中ずっと守り通してきたこの投手リレーは、
今年のドラゴンズの戦いの集大成を表していた。
最後にマウンドに立った宣はガチガチで、四球、ヒットとランナーを溜めてしまった。
ちょっと不安を感じてしまった私ははリビングの隅っこで隠れるようにして見ていた。
そうしたら、最後の打者となったペタジーニはあっさりとフライを打ち上げてしまい、
ウィニングキャッチの瞬間を見られなかった(^^;。
ものすごい歓声が聞こえた途端、慌てて飛び出して優勝の瞬間を目の当たりにした。
みんなが喜び、みんなが感動 ウィニングキャッチした立浪は、守っている時から涙が止まらなかったという。

優勝監督インタビューで星野監督は、「東京にもこんなにファンがいたなんて…」と

名古屋は予想以上に街のあちこちで大盛り上がりだった。
ナゴヤドームでは4万ものファンが神宮に向けて声援を送った。
TVではよりによって原子力事故が発生してしまい、せっかくの優勝ムードがしぼんでしまうのではと
心配だったけど、何とか大丈夫だった。
優勝の夜から翌日にかけてTVで優勝の特番をいろいろと見た。
優勝の瞬間、胴上げしている間、ビールかけ、その後の記者会見やTVでのインタビューなど、
選手の顔が本当に生き生きとしていて、本当に優勝したんだなぁと改めて実感できた。
(でも名古屋より番組が少ないのが悲しい。羨ましいよぉ)

しばらくはこの思いにひたりたい…と思ったけど、
まだやり残している事がある。そう、日本シリーズである。
ドラゴンズは過去4回リーグ優勝しているが、日本一は1954年の最初の優勝しかない。
だからこそ、今回こそは…という思いは監督も選手もファンも大きい。
いろいろと課題を抱えていると思うけど、ホークス相手に素晴らしい戦いをして欲しい。

でも最後に笑うのはドラゴンズ!

Last Update:1999.10.?
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