札幌で見られなかった守護神の偉業、名古屋に戻ってようやく達成出来ました。
おめでとうーー!
岩瀬仁紀投手が史上3人目となる250セーブを達成出来ました。前回セーブを達成してから、仙台ではあと1セーブの重圧に負け、札幌では登板機会がないまま、約1週間。富山での雨天中止で開催されたナゴヤドームでの対ファイターズ戦。今回の交流戦でファイターズに未だ勝てていないドラゴンズだから、最後くらいは勝って欲しいと思いつつ、試合経過をチェックしてました。
8回までファイターズリードの状態。このまま終わってしまうのは…と思っていたら、8回裏にランナーを置いてブランコが逆転3ラン!お膳立てが整った所で、守護神が登板してきました。
ランナーを出すも、しっかりとアウトに仕留めてゲームセット。
ドラゴンズが交流戦ラストを勝利で飾ると共に、
岩瀬投手の250セーブ=名球会入りが達成されました!
【中日】岩瀬史上3人目の250S達成
<中日5-3日本ハム>◇16日◇ナゴヤドーム
中日の岩瀬仁紀投手(35)が、リーグトップの今季16セーブ目を挙げ、史上3人目、左腕では初の通算250セーブを達成した。初セーブは1999年6月23日の巨人戦。
5-3の9回に登板した岩瀬は1回を無失点に抑え、通算252セーブの佐々木主浩(元横浜、日米通算381セーブ)、通算286セーブの高津臣吾(元ヤクルト、日米通算313セーブ)に続いて大台に到達した。昭和生まれで通算200勝、2000安打、250セーブなどが条件の「名球会」の入会資格を得た。
岩瀬は西尾東高(愛知)、愛知大、社会人のNTT東海(当時)を経て99年、ドラフト2位で中日に入団した。1年目から中継ぎで活躍し、04年から抑えに転向。05年にシーズン最多記録の46セーブをマーク、昨季は史上初の11年連続50試合登板、5年連続30セーブを果たした。
中日・岩瀬が250S達成!史上3人目
(交流戦、中日5−3日本ハム、最終戦、日本ハム3勝1敗、16日、ナゴヤドーム)中日の岩瀬仁紀投手(35)は16日、ナゴヤドームでの日本ハム戦に九回から登板し、1イニングを無失点に抑え、通算250セーブを達成した。高津臣吾投手(台湾・興農)、佐々木主浩投手(元横浜)に続く史上3人目の大記録で、これにより日本プロ野球名球会の入会資格を得た。
これはすごい記録ですね。大きな怪我もなく、ここまで投げられた。
一つ一つ仕事をこなした積み重ねが、この日の偉業に繋がったことだと思います。
ヒーローインタビュー。YouTubeにアップされていました。
リアルタイムで見られなかったので、感謝。
今の気持ちは、と聞かれた時は
「嬉しいです!」
今後の目標は、
「次は300(セーブ)目指します!」
節目を迎えた後、新たな目標に向かって前に進んで行く岩瀬投手、頼もしいです!
この日はご両親も見に行ってたそうです。以前、ドラゴンズの携帯サイトに掲載されている岩瀬投手のコラムに、丈夫な体を作ってくれた両親に感謝するようなコメントが書かれていたように記憶してますが、そのご両親の前で達成することが出来たのは、一番の恩返しになったのではないでしょうか。
岩瀬両親も感激!父富美夫さん「どえらい息子」
岩瀬の快挙達成の瞬間をスタンドから見守った両親は感激の面持ちだった。
父富美夫さん(61)は「チームのみんな、ファンの皆さまのおかげ。本当にいつできるか心配だった」と涙を浮かべ、母道代さん(59)は「感無量です」と喜んだ。
どんな息子かと聞かれると、富美夫さんは「どえらい息子ですね」。記録到達に「とりあえずは“お疲れさまです”と言いたいです」とねぎらった。
ドラゴンズ公式では特集ページが開設されてました。
岩瀬250セーブ達成の軌跡
懐かしい写真もあったりして、岩瀬投手の成長ぶりとすごさを改めて感じさせます。
個人的には2006年の優勝決定の瞬間は今でも忘れられません。
まさにヒデキ、じゃなかった、ヒトキ、感激〜。
といった感じだったことでしょう。
これは西城秀樹さん。札幌ドーム観戦記2日目も近いうちにまとめますので、お待ち下さい。
(楽しかった所だけですが(苦笑)。
↑楽しかった所の一つ。シャオロンと会えたこと。
明後日からはいよいよリーグ戦が再開されます。
東京ドームでいきなりジャイアンツ戦。交流戦では5分に終わったジャイアンツだけど、やはり手強い相手。しっかりと戦って勝って欲しいです。
しかし、この日の観客動員数…。いくら予備日とはいえ、少なすぎでは。
岩瀬さんの偉業を生で見られた人たちがうらやましいなぁ。
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