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LAND HO! 1994/09/15(Thu) 横浜スタジアム
ガーベラの花と風船
「LAND,HO!」で元春から受け取ったガーベラの花と風船。
形はなくなってしまったけど、今でも心に残る大切な想い出。
01 See Far Miles Theme
02 Night Life
03 アンジェリーナ
04 スターダスト・キッズ
05 ガラスのジェネレーション
06 Down Town Boy
07 Happy Man
08 君を探している
09 Wild On The Street
10 Come Shining
11 Shame
12 Young Bloods
13 Wild Hearts
14 Individualists
15 Strange Days
16 ナポレオンフィッシュと泳ぐ日
17 僕は大人になった
18 ジャスミンガール
19 ジュジュ
20 New Age
21 Heart Beat
22 新しいシャツ
23 Rock & Roll Night
24 約束の橋
25 Rainbow In My Soul
26 新しい航海
27 Sweet 16
28 So Young
29 彼女はデリケート
30 悲しきRadio〜デトロイトメドレー

<Encore>
31 Someday
{subtitle}
coverこの一連のライブレポートは、94年9月15日、横浜スタジアムで行われた佐野元春with The Heartlandの最後のライブ「LAND HO!」の感想を書いたものです。あのライブから2日後、家族旅行で上高地に行ったのですが、旅先でファンクラブ宛に葉書で感想を書き、投函しました。その後佐野さんのFC会誌 「Cafe bohemia」に一部掲載され、翌年2月にはファンクラバーによるライブレポート集「VOICE LAND,HO!」に載せて頂きました。
(今回書き直すにあたって、若干追加&編集をしました)
解散して9年近く経った今、数年前の文章を載せるのにはちょっと恥ずかしさも覚えるのですが、これを書き起こしながら改めてハートランドとプレイしていた頃の佐野さんのライブパフォーマンスに浸ってみようと思います。そして日本にはこういうバンドがあったんだよという事をみんなに知らせておきたいとも……。


上高地にて…私なりの"LAND,HO!"
奇跡は夢となって
Live OnDemand at Million Nights
幸せの赤い靴

☆★上高地にて…私なりの"LAND,HO!"★☆

今、上高地でこの葉書を書いています。
あの横浜の夜から2日経ち、あのキラキラとした夜が私の心の中にしっかりと根付いている事を改めて実感しています。もしかしたら泣くかも、と思ってたあの夜だけど、結局はいつも通りの、元春とメンバーの14年間ずっと変わってない絆を感じることが出来た、楽しいライブでした。
元春が上半身裸で演奏している姿にはビックリしたけど、これからも素晴らしいパフォーマーであり続けるであろうとこの時思いました。とにかくこの日は「奇跡」が起こった一日でした。朝から降っていた雨はライブの時にはやんでいたし、この日の「ミリオン・ナイツ」では、そのライブが何と、FMの電波でON AIRされたのです。これはすごい! 元春とザ・ハートランドの「LAND,HO!」は、彼らの関係がまた新しく始まるんだと思わせる本当に素晴らしいライブでした。

Dream goes on forever....Good Luck,THE HEARTLAND!!

(94.9.17 at Kamikouchi,Nagano)


☆★奇跡は夢となって★☆

9月15日、この日は様々な「奇跡」が起こった。朝から降り出した雨はライブ開始前にあがった。ステージ上ではいつものメンバーが楽しく演奏していた。また、ハートランドからいち早く「卒業」した横内タケ(ギター)、里村美和(パーカッション)、そして伊藤銀次が彼らと同じステージに立った。たたみかける様な勢いで次々と演奏されていく「ザ・ハートランド・ナンバー」。私は歌い、踊りながらメンバーの姿をオペラグラスで追っていた(この日の席はスタンド正面 、外野にあるステージから遙か遠くにあった)。「自分たちも楽しく演ろう」そう言っていた元春の言葉通り、彼らの表情は普段通りの明るい笑顔だった。最後の曲「SOMEDAY」が終わった後、ステージ左右に"A Dream goes on forever"という文字が現れた時、私はハッとした。この言葉は、佐野が数日前にラジオにゲストで出演したとき、「この曲を仲間のザ・ハートランドに捧げます」と言った後流れたトッド・ラングレンの曲のタイトルである。 "A Dream goes on forever" 夢は続いていくもの……この日見せた「奇跡」は、夢となっていつまでも私の中で続いていく。佐野元春と彼の仲間達に心からの拍手を送ろう。

(94.9.30)


☆★Live OnDemand at Million Nights★☆

数年前、当時Tokyo-FM系列でオンエアされていた「Million Nights」という番組があった。かつて東京JAPというバンドでドラムを叩き、現在は人気DJとしてラジオにTVに活躍している赤坂恭彦氏が担当したFMワイドプログラムだった。 ノンジャンルでオンエアされる楽曲、飾り気のないトーク、本音と笑いを誘うリスナーからのメッセージ。赤坂氏が担当していた別の深夜番組のリスナーの一人だった私は、放送が始まった時、当然のようにリスナーになった。

「Million Nights」が特別な番組になったのは、佐野元春がゲストで出た時からである。はじめはゲストトークだけだったのが、翌年の夏には赤坂&元春のダブルDJ(佐野自身がオンエアしたい曲を自ら持参する位の力の入りようだった)が繰り広げられた。尊敬する2人のDJバトルは、かつての「Motoharu Radio Show」を彷彿させたのを今でも思い出す。
(今年の「20th Anniversary Tour」で赤坂氏が寄稿を寄せていたのを見て、とても嬉しかった)

1994年9月15日、私はこの番組をタイマー録音していた。
赤坂氏のことだから、このライブについて何らかの報告があるに違いないという期待を抱いていたのである。
(前日の放送で、DJの赤坂氏が「明日は何かが起こるから、チェックした方がいい」と話していたのを思い出した)
午後10時10分過ぎ、「悲しきRADIO」のライブバージョンが流れはじめ、LAND HO!のライブ速攻レポートが始まった。そしてライブに行かれなかった人達からのメッセージが次々と読まれた後、赤坂氏が「さて、ここから奇跡が起こります!」といって、何とつい数時間前に行われたライブテイクをオンエアし始めたのである。これは佐野が「行けなかった仲間達に今日の興奮をいち早く伝えたい」という希望から、急遽実現されたものだという。赤坂氏でさえも「ライブテイクをON AIRしていいのをつい先ほど知った」という位、急な事だった。

1.See Far Milesのテーマ
2.Night Life
(EPIC SONYの長島氏による電話レポート)
3.DOWNTOWN BOY

この3曲がオンエアされたとたん、ファンから怒濤のようなメッセージが届けられた。殆どがライブ音源を音源してくれた驚きと佐野さんへの感謝のメッセージだった。おそらくラジオの向こうでは、この日のライブの様子を知りたい人がそわそわしながら聴いていたのだと思う(当日ファンクラブの電話もパンク状態だったらしい)。このオンエアは、佐野さんから送られた最高のプレゼントだった。私はこの番組を聴いた時、ラジオが引き起こす奇跡を改めて感じた。ライブ音源をオンエアしてくれた赤坂さん、ミリオンナイツのスタッフ、元春側のスタッフに感謝したい気持ちになった。そして佐野元春、ハートランドのメンバーには改めて最大の敬意を感謝を捧げたい。

P.S.
まだ余韻に浸りきっているのに、その後まりちゃんずの「おざきんちのばばぁ」という曲(当時何故かこの曲が「番組内で」流行っていた)が流れて、 ライブの余韻が一気に崩れた(爆)。ちなみにこの日は敬老の日でもありました(笑)。

(94.09&00.11.09)


☆★幸せの赤い靴★☆

山下公園沿いにある神奈川県民ホール(佐野さんもよくライブをやる場所)の裏手に「赤い靴」と呼ばれている場所があった。彼のデビューアルバム「BACK TO THE STREET」のジャケットを撮った場所としてファンに知られている「赤い靴」は以来、多くのファンにとっての名所として知られるようになる。アルバムジャケットみたいに記念写 真を撮ったり、店のオーナーである坪山紗織さんはここを訪れる元春ファンを快く迎え、訪問の記念と元春へのメッセージを寄せたノートを用意して、自由に書き込めるようにしていた。書き留められたノートは何十冊にも及んだ。しかし数年後、横浜市の区画整理事業にのみこまれるようになり、赤い靴は立ち退きを迫られるようになる。92年頃には赤い靴内の施設が引っ越され、外観のみが残された。そのままの状態で数年過ぎ、96年2月、ついに建物そのものが取り壊されたのである。

「赤い靴」の前でこの写真は94年9月15日、「LAND,HO!」のライブがあった日に「赤い靴」の前で記念撮影されたものである。佐野とハートランドとの最後のライブという事で、全国から大勢のファンが横浜に詰めかけた。そして多くのファンがこの日ここで写 真を撮っていた。中はがらんとしていたけど、あの入口の階段、あの赤い窓はデビューアルバムと同じだったのが嬉しかった。何でもっと早く赤い靴に行かなかったのだろうと後悔した。赤い靴が取り壊された後、元春ファンクラブの会報で「Akai-kutsu Memorial」というコーナーが作られた。それはファンクラバーに赤い靴で撮った想い出の写真とエピソード、メッセージを掲載するという企画で、数回に渡って行われた。私も短いメッセージを書き、あの写真を添えて編集部に出した。96年12月25日発行の「Cafe bohemia Vol.60」に載せていただけた私のメッセージを下に書いておきたい。

元春のデビューアルバムのジャケット場所が横浜にあるという事を知った時は、既にそのお店は閉まっていた。もし私がもっと早くその存在を知っていたら、どんなに自慢出来たことだろう。一昨年の初秋、ハートランド最後のライブ前、ようやくたどり着いた「赤い靴」。形はなくなっても、一人一人の心に残る「赤い靴」。ずっとずっと大切にしたい。

96年2月26日、佐野とホーボーキングのライブが神奈川県民ホールで行われた。既に取り壊しが決まっていた「赤い靴」だが、オーナー側から開演時間まで取り壊しを待っていて欲しいと工事業者に伝えた。これは「この日のライブに来る人が記念写 真を撮れる様に、ライブが始まる前まで表玄関の部分だけは残していてほしい」という配慮からだろう。最後まで赤い靴の大切さを教えてくれた坪山さんに感謝したい。あの時私も県民ホールにいたのだけど、玄関以外が取り壊され始めている姿にとても淋しさを覚えた。「赤い靴」は今はないのだけど、ジャケットを見る度、写 真を見る度、私の中では赤い靴はいつまでも残して置きたい、と改めて思った。そしてまた横浜にある今の「赤い靴」を訪れてみたいと思う(現在は港の見える丘公園の近くにある「猫の美術館」に赤い靴の面 影を見つけられる。場所は「ブリキのおもちゃ博物館」の向かいです)。

(94.02)

Last Update:2003.3.5
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