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Vol.5「鞭を置いた日」
1999.02.28〜騎手・南井克己引退
宝塚記念に勝ったサイレンススズカ&南井克巳
Carrot Lunch Photo Service
今年(1999年)2月末、一人のジョッキーが鞭を置いた。
タマモクロスを春・秋と天皇賞制覇に導き、地方からの刺客だったオグリキャップをマイラーへ導き、そしてナリタブライアンを3冠に導いたジョッキー南井克巳である。97年秋の菊花賞でマチカネフクキタルを優勝させた事で、私自身も彼の事が気になりだした。以来、TVや競馬場で彼の騎乗に注目し、昔のレースを振り返ったりして、南井克巳というジョッキーを私の記憶に残るようになった。ナリタブライアンとの走りをリアルタイムで体験出来なかった事はとても残念だった。それならば彼の子供に南井が乗るという夢を秘かに持ってみたりもしていた。オグリキャップやタマモクロスの子供に乗るという夢も……。

南井克巳といえば、ナリタブライアン。その事については前にもコラムで書いたけど、もう一つ忘れられないのがサイレンススズカと組んで勝った宝塚記念である。主戦の武豊がエアグルーヴに乗るために、今回だけは南井がスズカのパートナーになった。縁とは、運命とは不思議なものなのか。サイレンススズカにとって(最初で)最後のG1勝利は、南井にとっても最後のG1勝利となったのである。私は宝塚記念を後楽園WINSにある大型ビジョンで見ていたのだが、一応単勝は買っていたものの、「金鯱賞を大逃げで勝ったからといって、G1を勝てる程甘くない」と思っていた。ましてやG1馬が4頭も出ているのだから(エアグルーヴ、メジロブライト、シルクジャスティス、メジロドーベル)、彼らに太刀打ちは難しいのではとも思っていた。しかし、レースで最初から最後まで逃げて勝ったスズカを見て(金鯱賞)、認識の甘さを痛感させられたのである。南井の巧さが冴えたのだ。

南井克巳といえば豪腕ジョッキーというイメージがあると思う。オグリ、ブライアン、菊花賞を勝ったマチカネフクキタルでの勝ちは豪腕から来たものだし、ゴーイングスズカで勝った目黒記念を生で見た時には、直線での末脚にただ圧倒してしまった。雨が降り続き、重馬場だったけど「なんのこれしき!」という感じで「すごいなぁ」とため息をついてしまったのを思い出す。
しかしサイレンススズカとの宝塚記念では、逃げまくるスズカを逃げすぎないように気を付けた南井の騎乗が、最後の直線で生きたのではないかと思う。金鯱賞ではマチカネフクキタルに騎乗したが、菊花賞以来のブランクを取り戻す事は出来ず、サイレンススズカの大逃げに屈してしまった。
あの時サイレンススズカの強さを間近に見ることが出来た事が、後の宝塚記念での走りに多大な影響を及ぼしていたといえるだろう。エアグルーヴに騎乗する武豊に変わって騎乗した宝塚記念。距離が伸びた事でどうかなぁと思っていたけど、金鯱賞程ではなかったけど最初から逃げまくって勝つという、スズカらしい勝ち方を見せてくれた。その走りを導いたのは、まぎれもなく南井だった。この勝利はサイレンススズカにとって、そして南井にとって最後のG1勝利となってしまった……。

9月末、ナリタブライアンが天国に召された。
南井は調教師受験を表明。事実上の引退宣言。
そして11月はじめ、天皇賞でサイレンススズカが……。
この一連の出来事が、南井と深い繋がりを感じていたのは私だけだろうか。

99年2月10日、調教師合格の朗報を受けた南井克巳は、正式に引退表明をした。
引退の理由は調教師試験に合格したことが直接の理由と言われている。既に調教師受験に挑戦という時点で事実上の引退となっているが、彼はあえて正式に合格するまで引退表明をしなかった。合格の知らせを受けた南井は、週刊ギャロップに寄せた手記にこう記している。

「嬉しいというより、正直言って今は真っ白な気持ちなんです。
ただ、第2の人生が一から始まるんだなと……。」


最後の重賞レースとなった「ダイヤモンドS(G3)」に、インターフラッグで挑戦したが、残念ながら破れてしまった。しかし、勝った馬が彼のかつてのパートナーであるタマモクロスの子供であるタマモイナズマという所に、偶然とは言えない何かを感じたのは、おそらく私だけではないだろう。願わくば南井が騎乗したインターフラッグとのワンツーフィニッシュを見たかったけど。
そして騎手としての「最後の日」は、彼とゆかりのある中京で迎えた。彼の出身地であり、初めてレースをした場所であり、初めて重賞を勝った所でもある。重賞レースが行われてない、裏開催の場所をあえて最後の地として選んだ所に、彼のある種の「こだわり」を感じた。 その中京での最後のレースで彼は、見事な走りで1着でゴールした。TVの実況では「南井克巳」を完全にクローズアップしていた。スタートからゴールまで、ずっとである。その時彼の着ていた勝負服は白を基調にしていたが、まるで最後のレースの為に取っておいた様な白だった。実際は分からないけれど、私はそう思いたい。
レースを終えた後、花束を受け取った彼が涙をためていたのをTVで見て、私もジーンときてしまった。でも、最後の最後まで騎手としてまっとうした満足感も感じられた。これでよかったんだろうな。華があるうちに引退することが出来て、また新しい夢を与える事が出来て良かった、そう思えるようになった。
この日、自分の掲示板にこんなメッセージを書いた。

南井さん、ありがとう(涙)
投稿者:NEPPIE  投稿日:03月01日(月)00時39分46秒
1999年2月28日。
南井克巳さんが調教師転身の為に騎手を引退してしまいました(;_;。
騎手としての最後の日は彼の地元であり、原点である中京競馬場で迎えました。 彼は最後の最後で自ら引退の花道を飾ってくれましたね。 中京の11RはフジTVのスーパー競馬で見ていたけど、 最後の直線は南井さんばかりTVに映っていて、 実況も「南井克巳!南井克巳!」を連呼していました。 TVでは静かにレースを見る事が多いけど、 今日は思わず興奮しつつ、涙が出そうになりました。
南井さんの騎手での活躍を振り返る所もTVで見たのですが、 彼は出会うべくして出会った馬たちと充実した時を過ごせたんだなぁと思いました。 タマモクロス、オグリキャップ、ナリタブライアン、マーベラスクラウン、 マチカネフクキタル、エイシンバーリン、そして……サイレンススズカ。 馬との出会い、人との出会い、彼は幸せな騎手生活だったんですね。TV中継でのエンディングにウイナーズサークルでファンの声援に応える南井さんが 映ってたけど、溢れてくる涙を一生懸命拭う姿に、私も涙が出てしまいました。
南井さんが週刊ギャロップに書いた手記の最後にこう書いてました。

「最後の日、最後のレース、そしてゴールまで、
騎手としての誇りを失わず一生懸命頑張ります」


最後の最後まで騎手としての誇りと保ったまま、鞭をおいた南井克巳。 彼から受けたたくさんの思い出と夢に感謝したいです。 これからは調教師として、また沢山の夢と思い出を私達に与えて欲しいですね。

We will meet again
Don't know where
Don't know when
But I know we'll meet again some sunny day
Keep smiling true just like you always do
Till the blue skies makes the dark clouds fade away
Some sunny day
We'll meet again
(THE BYRDS/We'll Meet Again)


また近いうちに彼に会えることを願って……。



あれから2ヶ月が経とうとしている。
南井克己は現在調教師になるために勉強している。この前の桜花賞では解説席にいて、私達に元気な声を聞かせてくれた。もし今年も現役だったら、彼はどの馬に乗っていたのかな、そう考えたりもしたけど、今は数年後彼によってクラシックに出走してくれる馬が出てくる事を期待するようになった。そして彼の子息が騎手として3年後デビューし、彼の管理する馬で子息が騎乗する馬、そしてナリタブライアンの子供達を育てていく……夢は限りなく続いていく。私はその夢をこれからも追い続けていきたい。

(99/04/18)


P.S.
2000年11月25日、東京競馬場。
今年新設されたジャパンカップダートで、管理馬ウィングアローで開業1年目でG1勝ちを達成した。
師匠の工藤師の管理馬であり、フェブラリーSを勝ったウィングアローを引き継いだ南井は、G1馬の実力を崩すことなく、きちんと育てていった。そこまでたどりつくまでの道は決して楽ではなかったはず。JCダートでの勝利は、今までの苦労が実を結んだ事と同時に、これからの励みになる事を期待したいと思う。
Last Update:2000.12.1
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